ジュズとネンジュ

愛染明王という密教の仏がいます。
愛を成就させる仏として昔か信仰を集めている仏です。
しかし「愛の仏」のイメージで愛染明王に対面すると、その像にびっくりします。
表情は怒りにゆがみ、3つの目はかっと見開き、獅子の冠をかぶった髪は逆立ち、
6本の手を持つ全身は激情の赤に染められているのです。


2本の手には弓と矢を持っています。しかし、この矢はキューピッドの矢のように相手の心を虜にするものではありません。
ほかの手には人間の悩み(煩悩)を打ち砕く武器であるナイフ・鈷杵(こしょ)や、人間の精神力を高める鈴も持っています。

恋愛成就の仏である愛染明王は、じつは人間にもっと高い「愛」の姿を要求しているのです。

愛という言葉はこころよく、ずっとその中にひたりきっていたいほどです。
これを「ユーフォリア」(何も見えなくなった幸せな状態)といいます。

こうしてまず生まれるのが、
いまの状態がずっとつづくことを願う気持ちです。これが執着です。


しかし、その気持ちのいい状態も、他人と一緒の社会の中では変化がおきます。
すると、
自分の幸せを壊すものは敵だという考えが生まれるのです。

あるいは
他人と自分の状態を比べてみたくなります。
こうして、すべての欲望が「愛」という言葉の裏でうごめきだすのです。

たとえ恋愛が実っても、それで終わりではありません。
嫉妬心が生まれたり、もっと大きな犠牲を相手に求めたりと、
清らかさとはほど遠い心の動きが生まれます。

愛染明王の怒りは、そんな愛の姿に向けられているのです。

愛は煩悩、つまり欲望そのものだというのです。
「愛」の原語であるサンスクリット語(古代インド語)の意味する「喉の渇き」から、
欲望を満たそうとする心の状態を「愛」だと仏教は鋭く指摘し、「渇愛」とよんでいます。

ただ、愛染明王の像は愛は欲望だから捨ててしまえと怒っているのではありません。
むしろ逆に、愛の本当の形を心を閉ざさずによく見なさい、と言っているのです。 


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