ジュズとネンジュ

「大往生」とは、安らかに死ぬこと、少しの苦しみもない往生。また立派な往生。(広辞苑岩波書店)
私ども全葬連加盟の葬儀社には毎月「葬祭界」という新聞が配布されております。その中で気になる記事がありましたので下記に紹介します。
「何かお困りのことがありましたか?」

 A「葬儀がとても辛かったです。」

「何かあったのですか?」

 A「いいえ、違います。葬儀が終わったあと、弔問の人から『お母さん、大往生でしたね』と言われました。それが一番辛かったです。」

「どうしてですか。教えてください。」

 A「先生、私は母の死が辛かったのです。亡くなる前の1ヶ月、私は母を看病しましたが、徐々に衰弱してゆく母をみていると、とても大往生と思えませんでした。それなのに弔問客の人は口々に『大往生』というのです。私の母が年だからでしょうか。私はその人たちに『私の母は死んだんですよ。大往生なんかではありません』と言いたかったぐらいです。おかげで葬儀は本当に辛いものになってしまいました。」

 お母様は86歳。ほぼ女性の平均寿命といってよい年齢です。また、家庭ではご主人を支え、Aさんをはじめ、子どもさんを立派に育てあげられてからこの世を去ってゆきました。ですから、周囲の人からみると「大往生」にみえても何ら不思議なことはありません。
 しかし、周囲の人が大往生を感じたからといって、ご遺族が同じように感じているとは限りません。Aさんはお母様の死を非常に辛いものと捕らえていました。そんな中、「大往生(安らかな死)」と言われたので辛くなってしまったのです。ですから、遺族に接する場合、自分の価値観や常識でものを言うのではなく、遺族がどう感じているか常に考慮すべきだと思います。「大往生」という言葉から様々なことを学びました。
埼玉医科大学 国際医療センター精神腫瘍科 大西秀樹


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