ジュズとネンジュ

 「未来永劫」という言葉があります。結婚式でカップルが永遠の愛を誓うときによく使われる言葉ですが、この「劫」とは仏教から出たもので、はかりしれないほどの長い時間を表します。
 「劫」がどのくらい長いかは、経典にはこう書かれています。1つの辺が数キロメートルもある四角い大きな石を、天から舞い降りた天女が柔らかい布でサラッとなでる。これを百年に一度のペースで繰り返し、やがて石がすりへってなくなっても、まだ一劫は終わらない。途方も無く長い時間なのです。

 また「劫」とは逆に、短い時間を表す「刹那」も経典に出てくる時間の単位です。今このときだけ楽しければいいという考え方を刹那主義といいますが、その短さは1日の三十分の一の三十分の一、そのまた六十分の一の百二十分の一が「一刹那」。つまり七十五分の一秒が一刹那になります。刹那は指をパチッと弾く間にもたとえられ、弾指とも言われます。
 
 さて、あなたはいくら楽しくても、指が鳴る間だけの快楽を、ずっと追い続けていけるでしょうか。

 私たちは現在、何万、何十万光年の彼方にある天体を知っています。またスポーツでは千分の一秒単位で勝負が決まります。しかし、「劫」や「刹那」という時間の単位が考えられたのは、二千年以上も前なのです。科学とは縁遠い時代の人たちが、どうしてこんな時間の単位を考え付いたのでしょうか。

 また、日常では役に立たないこの物差しから何を求めようとしたのでしょうか。日常生活から離れてマクロとミクロを考える。これが仏教、さらには密教を知る一つのカギです。

 


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